今日で広島への原爆投下から70年、平和への誓いあらたに

 70年前の8月6日、午前8時15分、広島へ原子爆弾が投下されました。広島の平和記念公園でおこなわれた平和祈念式典の中継をテレビで視聴し、午前8時15分、原爆死没者を追悼し、黙とうがおこなわれましたが、私もその時間黙とうしました。
「戦争法案」を推進する安倍首相のスピーチの後、大きな声「ヤジ」が飛んでいる状況がテレビでも映し出されました。
 「戦争はしない」「軍隊は持たない」と決めた憲法9条は、世界で唯一の被爆国日本が多くの犠牲を払ってうみだされたものです。憲法9条は「戦争はしない」ということに留まらず、「軍隊は持たない」という、さらに前に踏み込んだ条項になっています。それは「戦争の違法化」をうたった国連憲章を踏まえつつ、国連憲章からさらに前に向かっての飛躍があるからです。
 その飛躍はどうしてうまれたのか。国連憲章が決められたのは1945年6月です。この時点では人類はまだ原爆を知りませんでした。そのあと7月に人類初の核実験がおこなわれ、そして8月に広島と長崎に原爆が投下されました。この原爆で20万人を超える人々の命が一瞬にして奪われ、美しい都市が一瞬にして廃墟と化し、言語を絶する犠牲をこうむりました。
 この地獄を世界のどこでも二度と繰り返してはならないという強い思いが、憲法9条という宝を生み出しました。原爆の出現によって、文明と戦争は両立しえなくなりました。「文明が戦争を抹殺しなければ、戦争が文明を抹殺する」そういう恐るべき現実が目の前にうまれました。それならば、文明の力によって戦争を抹殺しよう。戦争を放棄し、陸・海・空軍の一切の戦力を放棄しよう。それを世界に先駆けて実行しよう。こうして私たちの誇るべき憲法9条がうまれたわけです。
 「二度と戦争はしない」「ヒロシマナガサキの悲劇をくりかえさない」、その願いこそ、戦後日本の出発点であり、その理念は憲法9条へと受け継がれています。この憲法9条に違反する「戦争法案」を必ず廃案へと追い込む決意をあらたにしました。

「平和宣言」を述べる広島市