阪神淡路大震災から20年、「何でも民営化」でよいのか

 今日、1月17日で阪神淡路大震災から20年になります。20年前の1月17日、当時私は会社員で、仕事で三原に出張する予定でした。朝5時にお起きて出張の準備をしていたら、大きな地震の揺れに襲われました。すぐにテレビのスイッチを入れましたが、大きな地震が起きたというだけで、詳しい報道はありませんでした。営業担当者にすぐに連絡して、2人で新大阪まで車で向いましたが、信号機は点灯していませんでした。大地震のだいたいの全容がわかったのは新大阪駅に着いてからでした。阪神高速道路の橋脚が折れ、ビルが倒壊したテレビの映像には驚きました。
 私の親戚も神戸の灘区で被災しました。地震から3日後に、地震で被災した親戚を訪ねました。神戸の破壊された街並みは、まるで映画の世界をみているような光景でした。親戚の方は家が全壊し、近くの公園に避難していました。公園にはブルーシートをテント代わりにして近所の方が集団で避難生活をされていました。被災した妻の叔母が、妻に抱きついて泣いていた姿は今も忘れません。
 橋下「維新」が進める「大阪」構想は、「何でも民営化」を進めるものですが、「何でも民営化」で府民の命を守ることができるか、大震災や豪雨から住民を守ることができるのか、いまこそ、公的責任を果たすことの重要性が求められているときはありません。

北淡震災公園内の活断層