終戦記念日、歴史問題を考える

 昨日は終戦68年目の終戦記念日でした。安倍総理日本武道館で開かれた政府主催の全国戦没者会議追悼式で、歴代首相が表明していたアジア諸国にたいする加害の「反省」や「不戦の誓い」を表明せず、歴史逆行の姿勢を改めて示しました。
 私は以前、ある方から昭和の戦争は「侵略戦争」で問題があったが、日清・日露戦争は大国から日本を守ったすばらしい戦争だったといわれました。ある方が言われたように、日清・日露戦争は日本を守るための戦争だったのか、終戦記念日にあたり改めて考えてみました。
 朝鮮(現在の韓国と北朝鮮)を植民地化した日本の侵略の歴史は、日清戦争から始まっています。当時の朝鮮は中国との関係が非常に深い国でした。そして、中国の支配圏の一部をなしていた国でもありました。明治になってから、そこへ日本が割り込んでゆく、しかも、ただ外交的に割り込むだけでなく、いろいろな口実をつけて軍隊を派遣し、首都にまで軍隊を置くようになります。そうなると、従来どおり自分たちの権益を守ろうとする清国との争いが起こる。それが日清戦争です。その戦争に日本が勝って、台湾を中国から奪うとともに、朝鮮の支配へむけた動きが本格化します。
 しかし、朝鮮の朝廷には強力な反日派が存在し、その中心をなしていたのが、閔妃という朝鮮王国のお妃でした。日本の警察と軍隊が王宮を襲撃し、閔妃を虐殺してしまいます。日本は力づくで朝鮮を自分の支配下におこうとしますが、そこに出てきた相手がロシアです。当時ロシアは満州(いまの中国東北部)に根城をおいて、朝鮮の支配を日本と争うようになりました。日露戦争は、日本にとっては自衛の戦争ではなく朝鮮の支配権を打ち立てることを争った戦争でした。朝鮮は、この時には、国名を「韓国」と改めていました。
 日露戦争開戦後、日本は「第一次日韓協約」で韓国の財政と外交を日本の指揮下におく仕組みをつくりました。さらに、日露戦争勝利後、ロシアの脅威をなくなりました。そして、日本は韓国に「保護条約」を押しつけ、外交は全部日本が代わってやるという、韓国の外交権をとりあげるとともに、「統監」を置き、韓国政府の上にたって政治の実権を握ぎりました。そして、1910年に「併合」して、植民地支配が本格的に始まったわけです。こうして見てくると、日清戦争日露戦争も日本を守るための戦争ではなく、韓国を日本の植民地にしていくための清国やロシアとの支配権を争う戦争だったわけです。
 私たちはこの歴史をしっかりと見なければならないと思います。