志位委員長の綱領教室を一気に読む

 志位委員長の綱領教室、第1巻と第2巻を一気に読みました。2010年12月から2012年3月まで、12回にわたっておこなわれたインターネット中継による「連続教室」を視聴しましたが、耳で聞くだけでは忘れている内容も多々あり、改めて勉強になりました。
 政府は4月28日を「主権回復の日」として、式典を開催しようとしています。1952年4月28日は、サンフランシスコ平和条約日米安保条約が発効した日です。この4月28日を「主権回復の日」として、祝おうというものですが、日本の独立は形式的なもので、サンフランシスコ平和条約日米安保条約の発効した日は、沖縄、奄美、小笠原がアメリカの施政下に置かれ、千島列島を放棄し、占領下に各地につくられた米軍基地の主要部分が半永久的にアメリカの前線基地にされた日です。4月28日は日本国民にとって「従属の日」にほかなりません。沖縄県議会は、自民党議員団が退席するなかで、4月28日を「屈辱の日」として、全会一致で「抗議決議」をあげています。
 「綱領教室」では、敗戦をはさんで「沖縄はどういう状態におかれたか」、というページのなかで、瀬長亀次郎さんの回想録を紹介しています。「収容された最初は、食料と衣服はちゃんと支給される。日本軍は奪っていく。日本軍は住民からすべてを奪って住民を餓死に追いやる、あるいはマラリヤに追いやる。しかし、米軍はちゃんと与えるわけで、最初はましかなと思ったけれど、住民からの報告と自身の体験から、“アメリカ軍は『解放軍』どころじゃない”と感じはじめていた。私の最初の目撃は、歯槽膿漏と栄養失調で山からおろされる途中、羽地村の振慶名という部落の乾いた田んぼの中で一人の婦人が米兵に暴行されている現場、その夫が妻を守ろうと必死に抵抗していたが、その場で射殺されてしまったことである。収容所では、野生のノビル、ヨモギ、ヤマイモを採りに行った婦人や娘さんが米兵に暴行された。MP(憲兵)が取り調べを口実に婦人をはずかしめた、という訴えが毎日ように報告された。
 私と市長は、その都度、米軍に抗議と規律を正すように申し入れたが『証拠がない』とか、『そっちに油断があるんだろう』『個人個人のたのしみまで規制できない』など二ヤニヤ笑って暴言を吐き、中尉が『キミたちは、いろいろ言っているが、一体、戦争に負けたのはだれなのだ。生きておれば、それでいいではないか』と無謀な発言をした」「米軍政府ワトキンス少佐は『米国では、民衆の声は重大視しているが、沖縄は敵国だから民衆の声はない。たとえば米軍政府はネコで、沖縄はネズミである。ネコの許す範囲しかネズミは遊べない・・・・』と発言し、侵略者の正体を見せた」と述べている。沖縄県民はまさに虫けらのように扱われてきたのです。このことを私たちは決して忘れてはなりません。沖縄が4月28日を「屈辱の日」としているのは、当然のことではないでしょうか。